米軍基地反対派の活動家による沖縄の危機
この動画を見て,いてもたってもいられなかったのでブログを書きます.
この動画では,沖縄で今,何が起きているかの一部を示した動画です.
大手マスコミが明らかにしない一つの事実が,この動画にはあります.
15分と長めの動画ですが,最後まで見てもらえると嬉しいです.
こちらの記事もよければどうぞ.
さて,この記事では沖縄の歴史について自分が知っていること,学んだことについて書いていきたいと思います.
特に沖縄の歴史を語るうえでキーワードになってくるのが「琉球処分」という言葉です.「処分」と聞くと何か日本は悪いことをしたのかなと思う方もいるかもしれませんが,私の知る限りの情報をお伝えできればと思います.
「琉球処分」とは何か
まず,「琉球処分」とは何なのでしょうか.「新版 中学社会 新しい歴史教科書(自由社発行)」の記述ではこうあります.
この説明を見ると,何かしら日本が変なことをした風には見えませんね.「処分」という言葉を当てたのはどういう理由からなのかは私には分かりませんが,「琉球処分」という意味自体には,なんら日本の落ち度は見受けられません.
次に,当時の日本が琉球処分を行った経緯,背景を見ていきましょう.ここからの記述も先に紹介した歴史教科書を出典にしています.
琉球処分に至った経緯
いつから日本は琉球と接触していたのか
まず,日本はいつ頃には琉球(今の沖縄県)と接触していたのでしょうか.そこから見ていきましょう.
教科書にはこういった記述があります.
1609年(慶長14年),薩摩藩は琉球王国に兵を送って尚氏を服属させた.琉球は清の冊封も受けていたので,双方の支配に服し,将軍の代がわりには江戸に使節を送るなど二重外交をつづけた.清に朝貢して得られた物資と情報は薩摩藩を通じて幕府にももたらされた.(p.128)
このようにあります.つまり日本は江戸幕府が開かれたくらいにはすでに,琉球と接触していたのですね.
ちなみに「琉球は清の冊封を受けていた」とありますが,「冊封(さくほう)」という言葉になじみのない方もいるかもしれませんね.私の言葉で説明するなら,「支那(チャイナ)王朝を上に置く朝貢体制」とでも言うのでしょうか.
つまり琉球は清王朝に屈しており,同時に日本の支配をも受けていた,となるわけです.
(続きは必ず書きたいと思います.とりあえずここまで.)