自分への自信を 少しづつ積み上げていく
元気なうちに、自分の本来やりたいことができると、本当に自信になる。それがとても嬉しい。
— 菊次郎 (@rising_sun_2677) 2017年2月5日
その自信を積み上げていきたい。
自分ができると思ったことは、大抵は実現できるはずだから。
【ゲーム】世界樹の迷宮2 8F探索中
ってか辛くない?
7F辺りから敵が強く感じる。とにかく切り抜ける感じで、余裕をもってダンジョン探索ができない。こういうゲームってことで楽しんでいいのかしら。
今のレベルが16くらいだから苦戦するのだろうか。もう少しレベルが上がれば、楽になるのかしら。ダメージ計算式にレベルの概念が入っていれば、そうなのだろうが。(ペルソナ4みたいに。)
ううむ。キマイラ狩りをしながらちまちま進めていく感じかね。時々8Fのダンジョンマップを埋めていきながら。
勉学とは目的にあらず 手段でしかない
勉強することを目的にしてはいけない、と言っているわけではない。
ただ、何の目的や目標も無しに勉強している人がいるのであれば、それはやめるべきだと言いたい。もっと自分の得意なことに時間をかけるべきだと思う。
何かを知るため、何かを得るために勉学に勤しむべきであると、僕は思う。
「やられる前にやれ」を体現したゲームは面白い
先ずは皆さんに一つ質問を。
皆さんは、どちらのゲームが面白いと思いますか?
「相手へ与えるダメージは大きいが、こちらが喰らうダメージも大きい。」
「相手から喰らうダメージは小さいが、こちらが与えるダメージも小さい。」
私なら断然、前者のダメージが大きいほうが面白いと思う。そのほうがこちらが死ぬ、やられる緊張感があって、面白みが増すと考えるからだ。
(戦闘システムに造詣のある方なら、これは確定数とターン数の問題であると見抜いた方もいるかもしれない。)
「攻撃は最大の防御」という言葉がある。まあ要するに、「やられる前にやれ」ということだ。ダメージを受ける前に先手を取って相手を倒してしまえば、自分は無傷で済む。高い防具にお金を出すよりも、良い武器を買ったほうが、結果的に被ダメージを軽減できると、こういうことである。
確かに、ボス戦でも敵のダメージを軽減でき、こちらは戦闘不能の心配が無い、あとは時間をかけていたぶるだけだ、と展開が見えてしまうと、そのバトルは味気ないものになってしまう。とりわけこちらが与えるダメージが小さいのなら尚更だ。
だから私はこの「やられる前にやれ」を体現したゲームを称賛する。私が面白いと思うゲームには、こういった要素が組み込まれていることが多い。
(以下、具体例を述べる。加筆検討中。)
「世界樹の迷宮2」というビデオゲームがある。可愛らしいキャラクターデザインとは裏腹に、3Dダンジョンを踏破していく硬派なオールドテイストのRPGだ。往年のRPGファンには、ウィザードリィに似たゲームとお伝えすれば、より理解が深まるのではないだろうか。
さてこのゲーム、なかなかに難易度が高い。それはなぜか。敵からの被ダメージが高めに設定されているからである。最序盤でも、敵からダメージを3回喰らえば戦闘不能だ。敵パーティが2体の構成と3体の構成ではかなりの違いがある。
私はこのゲームを始めは何の攻略情報も無しに初見プレイを試みたが、あえなく全滅。次はと回復役(ドラクエでいうところの僧侶)をパーティに多めに加えて再トライしたが、それでもMPが尽きて全滅。どうにも上手くいかない。
(続きはアクセスが多ければ頑張って書くかも。)
FF15には人の生きざまが見えない 【つぶやき】
人間の生きざまを描くのがドラマだとすれば、FF15はドラマ性に欠ける作品と言えるだろう。キングスグレイブのニックスやリベルト、ドラット―のほうが、より人間として映えて見えた。
— 菊次郎 (@rising_sun_2677) 2017年1月30日